全てのエンタテインメントに(for)4つの領域(four domain)からアプローチする、
という想いを込めて「フォーエンタテインメント」と名付けました。

† 団体情報 ─────

屋号フォーエンタテインメント
for entertainment
代表渡邊寛太
Kanta Watanabe
事業内容ゲーム(企画・開発・運営・分析・コンサルティングなど)
音楽(作曲・編曲・企画・A&R・コーディネイトなど)
イベント(企画・運営・配信・録画など)
ファンマーケティング(コアファン活用マーケティング・クラウドファンディングなど)
主な取引先株式会社ウォーターマーク
株式会社ジェンコ
株式会社スーパースィープ
株式会社HIKE
※50音順
事務所所在地埼玉県さいたま市
 

† 代表のご紹介 ─────

渡邊寛太 ── 1968年東京都新宿区生まれ。

小学生低学年から電気工作に目覚め、小学5年生のときに組み立てたNECワンボードマイコンTK-80にて8080/Z80マシン語(アセンブラ)と出会い、以降プログラミングとゲーム制作に傾倒。中学3年生で学校の教員室にあったPC-8801上のTURBO PASCAL(on CP/M)を使ってオリジナルのスクリプトドライバを開発、以降の長きにわたって活用することになるゲーム制作の核技術を構築。また、アニメ好きが高じて学校の先輩とともにアニメスタジオ(佐藤元氏・いのまたむつみ氏・土器手司氏在籍)にノーアポで訪問、佐藤元氏と親密になり、以後の徳間書店での仕事に繋がる。

高校時代はゲーム雑誌編集部やゲーム開発会社に入り浸り、高校卒業後の1987年にプログラマーとして本格的にゲームの世界に足を踏み入れた。ゲームプログラミングの師匠は元ナムコで現アストロール代表の水足淳一氏で、タスク管理やオプティマイズなどゲーム製作で重要なことを学んだ。

また、幼少期から親の影響ではじめたピアノやクラシック鑑賞を基盤として、ゲーム制作現場にて音楽制作も開始。徳間書店時代には神たま氏や古代祐三氏、フィルインカフェ時代には与猶啓至氏や梶原正裕(kaja)氏ら、山佐エンタテインメント時代以降は元ナムコの相原隆行(J99)氏、細江慎治(MEGATEN)氏、佐宗綾子(AYA)氏らと交流し、夜な夜な音楽談義に明け暮れた。

(主な経歴)

1980小学生5年生のときパソコン雑誌「I/O」(工学社刊)に投稿し掲載され、初めて原稿料をいただいた
1985筑波大学附属駒場高等学校に在学中、ゲーム開発のアルバイトを開始
1987フリーランスとしてゲーム/アニメ/出版社でプログラム、ライター、編集アシスタントとして活動開始
1989徳間書店インターメディア株式会社にてプログラマー/サウンドクリエイターとして従事
1993株式会社フィルインカフェに入社、プログラマー/サウンドクリエイターとして従事
1998株式会社トレジャーに入社、プログラマーとして従事
2002ヤマサエンタテインメント株式会社に入社、テクニカルディレクター/PMOとして従事
2004年からエピクロス株式会社に社名変更し、引き続き開発推進/プログラマーとして従事
2008サイバーステップ株式会社に入社、研究開発/海外運営リーダー
2010株式会社epicsにて開発部部長として営業/ディレクション/企画に従事
2011年からはEC事業部に従事
2011グリー株式会社に入社、企画/開発/運営/分析などに従事、数多くの大型タイトルを担当
Funplex株式会社にて海外タイトルのプロデューサー、REALITY株式会社にてVTuberプロデューサー、株式会社WFS/グリーエンタテインメント株式会社にてFanbeatsのシニアコンサルタントとして、ファンコミュニティを活用するマーケティングコンサルタントを担当
現在はGlossom株式会社にて主にゲーム分野の広告マネタイズに関するコンサルタントに従事